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3月11日の手記

3月11日

その日も僕たちはいつもと変わらず、仕事に追われる日常を過ごしていた
特に大きな不満があるわけでもない
でも疲弊した日本と同様、先の見えない将来にどことなく感じる不安感
それは徐々に徐々に変わるものとしか考えていなかった
大震災で日常がこれほど一変するとは考えられなかった

午後2時44分、東日本大震災が発生

はじめ小さく揺れ、すぐになにかいつもと違うと感じた
「あぶないからとりあえず外に出よう!」
僕たちは建物の外の駐車場へ出た
そして間もなく大きな揺れに立っていられないほど全身がよろめき、大きな看板や高さ10m以上の鉄柱が大きく左右に揺れる光景を目の当たりにした
これが現実かどうかも分からない状況のなか、心の中ではここ数日の出来事、何気ない会話を思い出していた

『そういえば、少し前から小さな地震がいわきにしては多かった。あれはこの前兆だったんだろうか・・・』
『「いわきは災害が少ない地域ですから」東京からいわきに移住したお客さんにも力説したばっかりだよな』

揺れがおさまってくると次第に心は冷静になり、事務所の中へ戻った
尋常ではない揺れではあったが、それでも建物は変わった様子はない
だが室内の散乱した書類や倒れた物を見ながらふと不安がよぎった

普段この時間は妻と1歳になる娘は家にいる。もしかしたら寝ている時間だったか。8歳の娘は下校時間だよな。
不安に駆られ僕は『家の様子を見に行く』と言って車に乗り込んだ

現実とリンクしない光景
道路はところどころ陥没があり、隆起してたり、亀裂が出来たり
屋根の瓦は落ち、ブロック塀は崩れて道端に残骸が散らばっていた
まだ夢から覚めてないような感覚
障害物をよけながら、『このまま家にたどり着けるだろうか』とにかく進むしかなかった

僕は妻と8歳と1歳の娘と4人でアパートの2階に暮らしていた
あたりはガス臭い匂い
部屋から飛び出してきたのだろう、部屋着のままで外を落ち着きなくうろうろする人
周りを見る余裕もなく、駆け上がって玄関のドアを開けた
『・・・』
もう少しましな光景を予想していた
でも玄関から見た室内は想像を超えていた。あらゆるものが散乱し、足の踏み場もない
妻の名を叫ぶ
返事がない
靴も脱がずに部屋の中へ
いつもは整然としているリビングは棚が倒れ、棚にあるオーブンや食器類、調理器具、割れた皿が散乱し、調理途中だったのか鍋の中のものもあちこちに飛び散っていた。なにもかもが倒れ、飛び、落ち、僕は呆然とした
そしているはずの妻と子の気配や返事がないことに一気に不安が押し寄せた
もう一度叫ぶ
『そんなはずはない!どこかに隠れているだけだ!』
家の中は静まり返っていた。家にいないなら外しかない
そう思って玄関に出ようとした瞬間、妻は子供を抱えて玄関から顔を出した
「大丈夫か!」
妻の顔には泣いた跡が。うんうんと妻はうなずいた
妻はテレビの大地震予告に不安を感じ子供を抱きかかえ、食卓の下に身を隠したようだった
その判断は正しかった。大きな揺れで次々と物が倒れてきたのだから、最近歩けるようになった1歳の娘がもし妻と離れていて、抱きかかえられなかったら
そう思うとゾッとするとともに妻に感謝した
地震が収まってきて妻は外に避難したようだった

8歳の娘はまだ学校だった
いつもなら今は下校時間
でも帰ってきていない
少し待ったが娘は帰ってこない。下校道を車で逆送し、娘を探した
パラパラと下校する子供たち、親と一緒の子もいた
どんどん学校に近づいていってもうちの子の姿がない
学校には迎えの車が出入りし、僕たちも校庭で集団待機する子供たちのなかに娘はいると思い近くの先生に声をかけた
娘は校庭にはいない
2年生はもうすでに下校途中だった
『そしたらどこだろう、違う道を通って家の玄関で待ってるかも』
再度道を急いで戻る
でも家の前にも娘はいなかった
『とにかく今はこのまま家には居られない。娘を探して避難しないと』
近くを歩いて探してみた。いないと分かると車で近くを見て回った
みんな家にはいられないという様子で大人たちも子供どもたちと一緒に外で話し合っている
この中に娘がいないかったら・・・
そんな不安のなか、僕は娘の姿をみつけホッと胸をなでおろした
子供は無邪気だ
僕を見てなにをそんなに慌ててるの?といいたそうな顔で友達にさよならを言ってその場を離れた
家に帰ると、妻は担任の先生が娘の安否を確認しにきたと言った
まだすぐ近くだと思い、あたりを見回すと、住宅街を走り回る先生の姿があった
先生も僕たちや娘の姿を確認するとうんとうなずき、また走り出した
先生にも小さな子供がいる。わが子の無事も本当は不安なはず。そう思うと心がつらくなった

僕たちは家に戻り、とにかくここを出ようと決め、物が散乱し足の踏み場もない室内であちこちをひっくり返しては必要なものを集めようとした
どれも元の場所にはない
どこまで必要なのかも迷った
その間も何度か余震があった
はやく出なくては
でもなかなかはかどらない
家を出るまでの時間は長く感じた。それだけいろいろ持ち出そうとしていたのだ

ようやく荷物をまとめ、玄関の鍵をかけみんなで車に乗り込んだ
ここから離れよう。ほんとうにそれだけだった
僕たち家族は全員無事だった
でも両親や親戚は?地震で今どうしているのだろう、ちゃんと無事なのか
携帯はどこにもつながらなかった
とにかく車を走らせた
大通りが混んでいるのはすぐわかったので裏道を走り、両親の無事を確認しに実家に向かった

僕たちが住宅街を車で走り回っている頃、大津波は押し寄せた

そして今

3月27日

僕たちは、この大震災で身内や親しい知人にけが人や不幸はなかった
家も無事だった

もし、僕が沿岸部の家に住み、同じ行動を取っていたら
沿岸部の家に住み、僕と同じ行動を取っていた人がいたら

家族を迎えにいった人
家族を探しに行った人
大事な物を取りにいった人
荷造りをしていた人
車で遠くに行こうとした人

そして、家族の無事さえ確認しにいけなかった人・・・

あの日、沿岸部の町が津波にのまれ、何千人の尊い命が失われた
まだ家族の安否さえ分からない人もいる

僕がこの2週間で遭遇した苦難や不便は、家や家族を失った人の悲しみに比べれば本当にちっぽけな・・・
悩みや苦しみもどれほどちっぽけなものなのだろう
地震、津波、原発事故
日常は一変した
でも僕が今まで感じていた不安感は、まわりの支援や心遣いをうけて復興へ立ち上がる原動力と変わった
いまだ残る原発の不安も必ずいい方向に向かうと信じている自分がいる

残され、生かされた僕たちは今自分になにができるかを考え、助け合っていかなくてはいけないときなのだと思う
人を思う『和』を大切にしてこれからの長い復興への道のりを一歩ずつ歩んでいきたい

- 最後に -

この手記は私の体験をもとに、さまざまな感情や思いを文章として表現したいと思い書いてみました。
読みづらい文章ではございますが何卒ご了承ください。

このたびの東日本大震災で亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします


2011-03-25(Fri) 19:53| がんばっぺ、いわき| トラックバック 0| コメント(-)

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